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早見純を読もう

西洋芸術にて、
悪魔達の持つ道具が、
悪魔達に比較して、
ずっと現実味があるのは、
それらの道具をキリスト教徒が用いていたからである。
悪魔 (Kenkyusha‐Reaktion Books)


地獄の鬼、
獄卒は機能を果たすだけで、
誘惑者でも悪でもない。
これは和洋を問わない。

西洋的な悪魔は何処から来たのか?
魔神や、荒ぶる神とも別の性質を持つ、
甚だ神経質な悪魔は、
何処から来たのか。

キリスト教の悪魔は曖昧模糊としている、
聖書において人間に危害を加えたものは、
圧倒的に神であり、
悪魔は、
聖書の記述からすれば、
今日の人類を産み出した恩人である。

神が全能なら、
罪も悪も神の属性であるとするのが、
もっとも理にかなっている。


地球が丸いであろう事、更には地動説も、
キリスト経が押さえ込まなければ、
山岳民族や船乗り達によって、
(彼らは少なくとも、
世界の広がりは、
平ではない事を視認している)
あるいは科学的観測によって、
もっと早くに普及していたはずだ。

悪魔はキリスト教が作り出した装置で、
言い訳のようなもの。

キリスト教は知恵に悪の汚名を着せて、
我が身を飾ろうとしている。


そこで、近代サタニズムが生まれる。

これはサドの幼稚な反キリスト行為の子孫である。

サタニズムwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

サタニズム(Satanism)とは、
宗教的、あるいは哲学的な概念、またはその運動。悪魔主義悪魔崇拝
一般的にサタニズムと言えば、「サタン(悪魔)」を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝ち、世界を支配することが想像されるが、
最大のサタニズム組織である「悪魔教会 (Church of Satan)」はこの考え方を否定する。
悪魔教会は「サタン」が実際に存在するともしておらず、単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている。
サタニズムにも様々な形が存在するが、多くのサタニズムでは、サタンとは次のいずれかに該当する。
即ち、イデア・人間性のある一面、あらゆる存在の源・あるいは宇宙を超越した何らかの力の人間界でのインターフェイス
サタンと言えば悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、サタニズムは支持者にとってある少数派的な精神性と思想を示す言葉でもある。
例えばそれは、少数派(左利き)と多数派(右利き)に言い換えることができよう。
多数派(右利き)の人々は、何か不満があれば、自分と同様に多くの人も困っているであろうと考え、状況を変化させようと努力する。
それに対し少数派(左利き)の人々は、自己解決が全てであり、自分を変えようと努力する。
悪魔教会の創設者であるアントン・ラヴェイは、あらゆる神を信仰しない。
例えそれがサタンという名の神であっても、だ。
同様に、悪魔の掟に従うこともない(このことは、有神論のサタニズム信仰者も存在することから、サタニズムが自己矛盾した存在であると誤解されがちである)。
よって神に仕え、天の御命に従うような(欧米では一般的な)考え方も存在せず、サタニズムにおいては自身の物質的・身体的な発展と解決が殊更に重視される。
このような理由から、サタニズム信仰者は伝統的な宗教の信仰を疎んじ
キリスト教ユダヤ教。欧米では何らかの伝統的な宗教を信仰することが当然とされる)、
自己中心的な世界観を構築し、エゴイスティックであることを好むと捉えられる。

wikiは、不十分ですね。

サタニズムの主な文章

悪魔教会における悪魔主義者たちは生き方を教えるものとしてこれらを賞賛している。

しかし、悪魔主義者は、悪魔主義における罪やステートメント
そして地球上においてどのように生きていかなければならないかを示した規則を見せびらかさないことを覚えておくことが重要とされている。
悪魔主義者はイエス・キリストの言葉に従おうとするキリスト教徒や、
ミツワーに従おうと努力するユダヤ教徒とは対照的に、自明の理として自然に生きていくことを理想視している。



9つの悪魔主義におけるステートメント

このステートメントは、
サタンが悪魔教会においてどのような立場をとっているかを示している。

サタンは禁欲ではなく快楽を象徴する。

サタンは精神的なつながりを持つ夢ではなく、現世における存在を象徴する。

サタンは眠たくなるような自己欺瞞ではなく、純粋な知恵を象徴する。

サタンは、愛想のよさによって無駄にされた愛ではなく親切に値する者を象徴する。

サタンは他人の図々しい発言をひっくり返すことではなく仕返しをする行為を象徴する。

サタンは特殊能力を持つ吸血鬼への心配ではなく、責任を持つものへの責任を象徴する

サタンは『神から授かった精神的及び知能的な発育』によって最も悪しき動物となってしまった、本来は良くも悪くもある動物としての人間を象徴している。

サタンは罪と呼ばれる肉体的、精神的及び感情的な満足を象徴している。

サタンは悪魔教会の最も親しい友人であり、このところ忙しくなっている。


悪魔教会における9つの罪

愚鈍さ

虚栄

独我論

自己欺瞞

集団コンフォーミティー

十分な距離をとらないこと

今までの信念を忘れること

反生産的な高慢さ


悪魔主義者が地球上で暮らすための11のルール

尋ねられてもいないのに意見や忠告を与えないこと。

他人が嫌がるとわかるようなごたごたを話さないこと

他人の家に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができなければ2度とそこへは行かないこと。

他人が自分の家で迷惑をかけるなら、情をかけずにその人を残酷に扱うこと。

連れ添う兆しもないのに、性的な目的を持って言い寄らないこと。

他人の重荷になっていたり所有権を放棄したと言わない限り、他人のものに手を出さないこと。

願望がうまくかなえられたときは魔力の存在を認めること。願いがかなってほしいと思っても魔力の存在を否定すると、持っているものを全て失ってしまう。

自分自身に課す必要のない物に文句を言わないこと。

小さい子どもを痛めつけないこと。

自分が攻撃されたわけでも、自分で食べるわけでもない限り、
他の動物を殺さないこと。

公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと。

自分を困らせるような人がいれば注意すること。それでもだめなら攻撃すること。



悪魔という書籍は、
図像から、
キリスト教の言う悪魔の嘘くささをあぶり出していきます。

悪としての悪魔、そんなものはいない。
人間は悪を自分で引き受けるべきである。

純の魂

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