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空想科學小説


明治期には作家の魯迅が、ヴェルヌの月世界旅行を日本語訳から、
さらに中国語に重訳している。

かなり大胆に省略し、
中国の伝統に則り、七言の詩で始まる、
章回小説の形式に改められているそうである。

西遊記なんかでお馴染みの形式ですね。
魯迅全集とかで読めるんでしょうか。


中国語ではSFは「科学幻想小説」または「科幻」だそうです。

今は言語から音だけカタカナ表記するのが多いですが、
漢字で訳すとかっこいいし、意味も伝わりますよね。







http://140.130.128.66/files/14_2.pdf

前略

明治維新以後、日本が近代化に成功した理由の一つは、
ヨーロッパ諸国へ多くの青年を派遣し、政治や経済、軍事を学ばせたことにある。
当時の中国では、海外に留学生を送り、維新救国をはかるべしという世論がはやっていた。そのなかで、
まず日本に留学生を送るべしとする意見が強かった。
なぜなら、第一に費用が安い、第二に距離が近い、第三に文字の困難が少ないからである。
1896 年に、最初に留学生 13 名が日本に送り込まれた。その後、日本留学がブームになった。
政治背景を除いて、日本語には文字の困難が少なく、欧米の言葉より簡単に身につけることができるという利点があった。
その上、欧米の主な文献がすでに日本語に翻訳されていたため、日本を通じて、西洋を学習することは近代化の一つの手段となった。
その中で、多くの西洋作品が中国に紹介されたのである。

中略
学名詞の翻訳当時の人々がわからない科学名詞の翻訳について、
ロジンはそのまま音訳し、括弧でその意味を説明した。そういう例は何ヵ所も見られる

中略

5.1 日本に影響された当時の新しい事物の訳語、
および欧米文化に対する理解日本語訳「月界旅行」に従った作者名と作者の国籍、新事物と新概念の音訳などから、
日本に影響されたことは明らかである。
5.1.1 音訳から意訳へ当時、西洋の新事物、新概念と遭遇したとき、まず音訳して、
そして意訳するのが一種のパタンーであった。
I. telephone ─ 徳律風 ─ 電話II. redio ─ ラジオ ─ 収録音機III. piano ─ ピアノ ─ 鋼琴

5.1.2 中国ポピュラー小説形式を採用した理由西洋の小説を翻訳するとき、
中国でポピュラー小説形式を採用した理由は、
恐らく当時の読者に親しみを与えることにあったと考えられる。
中国の詩、ことわざの使用も同じ理由に基づくだろう。

5.2 当時当時訳者としての責任
「月界旅行」は空想科学小説であるため、科学理論と数字が多く使用されている。
とはいうものの、それは単なる小説であって、内容にあげられる理論や数字は正しいと限らない、
なぜロジンはわざわざその小説を中国語に翻訳したか。
ロジンは「月界旅行辯言」の中で言っている、


「小説の力を借り、優孟の衣冠を着れば、深奥なる理論を解説したにしても頭脳の染み透せることが可能であり、厭きられることもない」。

つまり、ロジンは小説の翻訳を借りて、科学の概念を普及するということを目的としていたのである。

終わり。


なんか戦時中の日本が科学小説の懸賞やってたって話思い出した。
確認とろうとして見つけたのがこれ。
懸賞は戦前にあったみたいですね。

http://www.aozora.jp/misc/cards/000160/files/chikyutonanno_sakushano.txt
青空文庫


『地球盗難』の作者の言葉
   海野十三




 本書は、僕がこれまでに作った科学小説らしいものを殆んど全部集めたものだ。
科学小説らしい――といって、これを科学小説と云い切らぬわけは二つある。
一つは僕が探偵小説として発表したものが一二混っていること、もう一つは僕の本当に企図しているところの科学小説としては、
まだまだ物足らぬ感がするから、本当の科学小説はいよいよ今後に書くぞという作者の意気ごみを示したいことと、この二つの事由によっている。
 元来わが国には、科学小説時代というものがまだやって来ていない。
しかし強いて過去にこれを求めるなれば、押川春浪氏の『海底軍艦』などが若き読者の血を湧した時代、
つまり明治四十年前後がそうであったようにも思われる。春浪氏の著作中には、早くも今日の潜水艦や軍用飛行機などを着想し、これを小説のなかに思う存分使用したのであった。
しかし春浪氏の外には、これに匹敵するほどの科学小説家なく、また春浪氏の作品は、冒険小説なる名称をもって呼びならわされたのであって、
その頃を科学小説時代と云うにはすこし適当ではないように思う。さりながら、その出所のいずくなるを暫く措くとするも、
とにかく『海底軍艦』などの科学小説がその頃現れ、読者の血を湧したことは厳然たる事実であって、押川春浪氏の名をわが科学小説史の上に落とすことは出来ない。
 それからこの方、誰が科学小説を書いたであろうか。僕の識る範囲では、野村胡堂氏、三津木春影氏、松山思水氏などが、
少数の科学小説またはそれらしいものを書いた。しかしそれ等は、不幸にして読書界に多くの反響を呼びおこさなかったようである。
一方ウェルズやベルヌの翻訳ものが出て、いささか淡い色をつけてくれたに過ぎない。
 その奮わぬ科学小説時代は、遂に今日にまで及んでいるといって差支えない。
過去に於て、科学小説の奮わなかったことは、肯けないことではない。
一般読者階級には、科学小説に興味をもつ者も少く、科学を理解する者の頭から純然とひねりだされた科学小説もなく、
そしてまた科学者たちは本来の科学研究を行うのに寧日なく、自己の科学趣味や科学報恩の意志を延長して科学小説にまで手を伸ばそうという人は皆無だった。
 ところが今や世はあげて、科学隆興時代となり、生活は科学の恩恵によって目まぐるしいまでに便利なものとなり、
科学によって生活程度は急激なる進歩をもたらし、科学に従事し、科学に趣味をもつ者はまた非常に多くなってきた。
しかも国際関係はいよいよ尖鋭化し、その国の科学発達の程度如何によってその国の安全如何が直接露骨に判断されるという驚くべくまた恐るべき科学力時代を迎えるに至った。
科学に縋らなければ、人類は一日たりとも安全を保証し得ない時代となった。従前の世界では、金力が物を云った。
今日は、金力よりも科学力である。
いくら金があったとしても、科学力に於て優越していないときは勝者たることは難い。
世界列国はいまや国防科学の競争に必死であり、しかもその内容は絶対秘密に保たれてある。
いよいよ戦争の蓋をあけてみると、いかに意外な新科学兵器が飛び出してくるか、実に恐ろしいことである。
開戦と同時に、戦争当時国は手の裡にある新兵器をチラリと見せ合っただけで、瞬時に勝負の帰趨が明かとなり即時休戦状態となるのかもしれない。
勝つのは誰しも愉快である。しかし若し負けだったら、そのときはどうなる。
世界列国、いや全人類は目下科学の恩恵に浴しつつも同時にまた科学恐怖の夢に脅かされているのだ。
 このように、恩恵と迫害との二つの面を持つのが当今の科学だ。神と悪魔との反対面を兼ね備えて持つ科学に、
われ等は取り憑かれているのだ。斯くのごとき科学力時代に、科学小説がなくていいであろうか。否!
 科学小説は今日の時代に必然的に存在の理由を持っている。それにも拘らず科学小説時代が来ないのはどうしたわけであろうか。
その答は極めて月並である。すなわち今日の小説家に科学を取扱う力がないからである。
 或る小説家や批評家は、科学小説を小説的価値のないものとして排撃している。
しかし僕に云わせれば、彼等は識らざるが故に排撃しているのである。
彼等には取扱い得ないが故に敬遠しているのである。
それは排撃の理由にならぬ。如何に排撃しようと、科学小説時代の温床は十分に用意されているのだ。
彼等はいまに、自分が時代に遅れたる作家であったことを悟るであろう。時代を認識できない者や不勉強な者は、ドンドン取り残されてゆく。
 科学小説時代は、今や温床の上に発芽しようとしている。僕は最近某誌の懸賞に応募した科学小説の選をした。今度が第三回目であって、その前に二回応募があったので、いずれも僕が選をした。
今度の選に於て、僕の非常に愕いたことは、その応募作品の質が前二回に比して躍進的向上を示したことである。僕は思わず独言をいったくらいだ。
――やあ、いよいよ御到着が近づきましたネ、科学小説時代! ――と。僕はそのとき、たしかに科学小説時代の胎動を耳に捕えたのであった。
 科学小説時代はいよいよ本舞台に入ろうとしている。それはどんな色の花を咲かせることになるのか、まだ分っていない。
どんなものになるのかしらないが、とにかく科学小説時代が開ける。
われ等の生活上の科学を、次の世界を夢想る科学を、われ等の生命を脅かす科学を、その他いろいろな科学を土台として、
科学小説はいまや呱々の声をあげようとしている。どんないい子だか、鬼っ子だか、誰も知らないが……。
 そういう時節に、僕がこの本を上梓することが出来たのは、たいへん意義のあることだと思う。
この本は、良きにも悪しきにも、科学小説時代を迎えるまでの捨て石の一つになるであろう。ぜひそうなることを僕は心から祈る者である。
僕は、近き将来に於て、卓越した科学小説家の著すところの数多くの勝れた科学小説を楽しく炉辺に読み耽る日の来ることを信じて疑わない。

以下略

初出:「地球盗難」ラヂオ科学社
   1937(昭和12)年4月5日第1版第1刷発行

ちょっと感動した。