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同時代ゲーム

私は親の代で,
先祖とのつながりは、
ほとんど消えました、
親がその親や親族と疎遠であったからです。
父母の土地はまったく知らない異境で、
テレビで見る見知らぬ土地と変わりありません。
自然、先祖、それらは虚構としか感じられません。
ふるさとのイメージとして、
緑の山や小川みたいなステロタイプを、
押し付けられる事に違和感を覚えて育ちました。


何しろほとんど接していないから、
これは想像でしかありませんが、
幼い頃朝鮮半島から引き揚げてきた父も、
もともと住んでいたはずの、
四国の自然に、さらには日本に、
違和感を覚えていたようです。


わたしが生まれ育った土地に戻っても、
記憶にある物はほとんど残っておらず、
記憶にある町の姿は、流れる川に膜が張るような、
七十年代終わりの姿です。
遊び場はビルの上であり、駐車場であり、
建築業者の資材置き場でした。
もともと田んぼや畑があった場所に、
特に計画性も無く、家々が立ち並び、
次第に集合住宅が増えていったのが、
町の歴史で、元百姓の地主を別にすれば、
100年住み着いた人はいないと思われます。

緑は、出かけた先にあるものでした。
コンクリートや、鉄骨、廃材もふくめ、
人工物が、いわゆる自然よりも親しきものです。

それは貧しい事かもしれない。
間違いかもしれない、
しかし、私はそこに育った。


この文章は何かって?
私が日野啓三に惹かれる理由です。

日野啓三自選エッセイ集―魂の光景

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日野啓三短篇選集〈上〉

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